第16章 沖縄の海を越える日 ― 全国展開、零からの設計図

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序:夜明け前の机上プラン

「社長、もう寝ないと倒れますよ」

夜中の宜野湾本社。スタッフが心配そうに声をかけてきた。私は笑って、「大丈夫だ、寝不足には慣れてる」と返した。ホワイトボードには赤や青のマーカーでびっしりと文字が並んでいる。

  • 出店は設計で行う(勢い禁止)
  • 人を守る仕組みを先に作る
  • お客様満足の再現性を証明する

スタッフのアキラが紙コップのコーヒーを差し出しながら言った。
「今までの俺たち、勢いだけで走ってきましたもんね。でも、これからは違うってことっすね?」

私は頷き、少し笑った。
「そうだ。沖縄の熱を“全国の言葉”に翻訳する。そのための設計図を描くんだ」

ゼロハリバートンのシャンパン色のケースには、ボロボロになった資金繰りノートとスタッフ集合写真が挟まっていた。その写真を見つめながら、私は心の奥で呟いた。

「今度は絶対に、みんなを守る」


福岡 ― 冷静な一歩目

最初に狙ったのは福岡だった。

天神の街を歩きながら、私はメモ帳に人通りの数を細かく記録していった。横を歩くナナが笑いながら言った。
「社長、まるで刑事みたいですよ」

「データを取るんだよ。勢いだけじゃダメだ。数字で証明しないと」

沖縄時代は「大丈夫、大丈夫!」の精神で通った。しかし本土のお客様にはそれでは通用しない。そこで導入したのが**「3分で安心説明」**。

修理保証、部品の出どころ、修理時間。この三つを端的に伝える。ある日、シビアそうなお客様が質問を矢継ぎ早に浴びせてきた。スタッフが戸惑いかけた瞬間、私は笑顔で答えた。

「すべてこちらのパネルにまとめてあります。安心してご覧ください」

お客様の表情がふっと緩んだのを見て、ナナが小声で言った。
「社長、今のスマートでしたね」

その夜、レビューサイトにこう書かれていた。

「説明が論理的で安心できた。勢いだけじゃない、本気を感じた」

私はそれを読んで、スタッフに見せながら言った。
「これだ。この感覚を全国に広げよう」


鹿児島 ― 人情を仕組みに

鹿児島での出店は、また別の学びをくれた。

開店初日、地元のおばちゃんが差し入れを持ってきてくれた。
「がんばってねぇ。沖縄から来たんでしょ?」

スタッフ全員が嬉しそうに頭を下げる。その横で、私は心の中で少し不安を感じていた。温かさに甘えて、境界線をあいまいにしてはいけない。

ある晩、スタッフの若手が言った。
「社長、このお客さん、値引きしてほしいって……どうします?」

私は静かに答えた。
「気持ちはありがたい。でも、ルールを守ることがお客様のためになる。今日断ることが、明日の信頼につながる」

その言葉に、スタッフは少し驚いた顔をしてから、ゆっくり頷いた。

そしてもう一つの挑戦が高校生アルバイトの育成だった。元気はあるが知識ゼロ。そこで私は段階的プログラムを導入した。受付 → 簡単な診断 → 作業補助とタスクを分け、3週間で戦力化させた。

ある日、アルバイトの一人が水没スマホの復旧に立ち会い、お客様の涙を見た。店の裏で彼はぽつりと呟いた。
「社長、俺……人をこんなに喜ばせられる仕事、初めてです」

その時、鹿児島での挑戦は成功だと確信した。


大阪 ― 笑いと値切りの文化

大阪は全く別の世界だった。

開店初日から、商店街の客は言う。
「兄ちゃん、あと500円安ならんか?」

スタッフが困って振り返ると、私は笑って返した。
「お客さん、代わりに保証を短くしていいなら、500円引きましょうか?」

お客は笑いながら、
「ほなそのままでええわ!」

その場が笑いに包まれ、スタッフも肩の力が抜けた。私はすぐに「お得の見える化POP」を設置し、「速度・価格・保証」で選べる修理プランを導入した。

ナナが後で言った。
「大阪は“笑い”で勝負なんですね」

「そうだ。値切りは敵じゃない。お客さんの文化なんだ」

結果、売上は落とさずに満足度を上げることに成功した。大阪は「商売の本質」を教えてくれた街だった。


出店プロトコルの誕生

こうして福岡・鹿児島・大阪を経験し、私は「勝ち筋の再現」を掴んだ。

  • 財務ルール(家賃比率、投資回収、在庫回転)
  • 教育プロトコル(動画+テスト+実地研修)
  • 品質管理(100チェックリスト)
  • ブランド統一(ピンク看板、制服、スローガン)
  • 文化移植(オンライン全社会)

アキラが感慨深そうに言った。
「社長、これ……もう一つの“設計図”ですね」

私は笑った。
「そうだ。沖縄の魂を“全国語”に翻訳するためのマニュアルだ」


家族と仲間の支え

全国出張を繰り返す中で、息子のレオも着実に成長していた。

「父ちゃん、俺、今日のお客さんに説明したら“わかりやすいね”って言われたよ」

嬉しそうに報告する姿に、私はただ「よくやったな」と頭を撫でた。アキラとナナも、現場の立て直しや新店舗のサポートに奔走してくれた。

ある夜、ホテルの部屋でゼロハリのケースを撫でながら思った。工業高校でPC-6001に夢中になった夜も、職員室でゲームを作って仲間を喜ばせた日も、根っこは同じだ。

「人を喜ばせる仕組みをつくる」――それが、私の人生の軸だった。


三つの危機と突破口

  • 福岡で追加工事が発生し資金ショート寸前。私は必死で法人契約を取りに走り、ギリギリで資金を回した。
  • 大阪では中核スタッフが体調を崩し、現場が崩壊しかけた。沖縄からクロス派遣を送り、夜通しオンラインで支えた。
  • SNSで匿名のクレームが拡散。私は事実をFAQで公開し、代表自筆の謝意を投稿した。

どれも冷や汗ものの修羅場だったが、最後に突破口となったのは「可視化」「仕組み」「率直な対話」だった。


終:夜明けの滑走路

夜明け前の空港。黒の三つ揃えに黄色のネクタイ。窓に映る自分の姿を見ながら、私は心の奥で呟いた。

「もう勢いだけでは進まない。設計で行く」

沖縄の情熱を、全国の言葉で届ける。その道の先に仲間がいて、家族がいて、お客様がいる。

私は深呼吸をし、滑走路に並ぶ飛行機を見つめながら歩き出した。

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