爆発的成長の幕開け
スマホ119は、那覇、宜野湾、北谷、浦添、沖縄市、名護、豊見城と次々に拡大し、最盛期には沖縄全島に17店舗を展開するまでになった。
当初はわずか3名で始めた小さな修理店だったが、気がつけばスタッフは50名を超え、月に3店舗同時出店という驚異的なスピードで成長を遂げていた。
新規オープンのたびに、求人、内装工事、仕入れ、研修と息をつく暇もない。深夜まで続く会議とロールプレイ。スタッフのほとんどは20代前半の若者たちで、経験も浅い。しかし、彼らの「やってやる」という勢いは誰にも止められなかった。
地域ごとの戦いとエピソード
- 北谷店
アメリカ人観光客が多く、修理受付の英語対応に四苦八苦。外人住宅街で育った私は何とか対応できたが、若いスタッフたちも英語のフレーズを必死に覚え、やがて「チャタンは英語が飛び交う国際的店舗」として評判になった。 - 那覇新都心店
観光客がキャリーケースを引きながら「飛行機に乗る前に直してほしい!」と駆け込む。数時間後のフライトに間に合わせるため、全員が汗だくになって必死に修理。成功した瞬間、お客様の「助かった!」の一言で、店内が拍手に包まれた。 - 名護店
地元高校生のアルバイトが多く、最初は工具もまともに握れなかったが、半年後には一人で分解から組み立てまでこなせるようになった。あるスタッフは就職面接で「スマホ119で学んだことが自分の誇りです」と語り、教師を泣かせたという。 - 豊見城店
空港近くの立地のため、出張者や旅行者が多い。「飛行機まであと1時間しかない!」というお客様に、スタッフ全員でタイマーを見ながら修理を進める。まるでF1のピット作業のような緊張感に包まれた瞬間だった。
ロールプレイと夢を語る夜
毎晩のように閉店後は全員でロールプレイ。「いらっしゃいませ」の声のトーンから、修理の説明、クロージングまで徹底的に練習。深夜2時を回っても終わらず、机の上でカップ麺をすすりながら「将来は全国制覇だ!」と夢を語り合った。
若さゆえの無謀さもあったが、仲間との一体感は何よりの力だった。
宜野湾本社での家族的な文化
週末は宜野湾本社にスタッフが集まり、駐車場でBBQ。社内にキャンプ道具を広げ、料理を作って振る舞う。炭火の上で焼ける肉の香り、笑い声、音楽。そこは仕事の延長線上でありながら、家族のような居場所だった。
正月には店舗前でビアカンチキンを丸ごと焼き、取引先やお世話になった人たちを招待。「今年も突っ走ろう!」と全員で乾杯する光景は、いま思い出しても胸が熱くなる。
給料日とステーキとボーナス
月末の給料日はサムズのステーキハウスが定番。鉄板の上でジュウジュウと音を立てる肉を前に、頑張ったスタッフには手渡しで給料と賞金。「来月は俺がトップを取ります!」と宣言する若者に、全員が拍手で応える。誕生日のスタッフには花束を渡し、涙ぐむ姿もあった。
ビーチパーティと家族イベント
半月に一度は全店舗を閉め、全員で海へ。テントを張り、音楽を流し、肉や魚を焼き、子供たちは砂浜で走り回る。伊計島での泊まりがけイベントでは、夜空に広がる満天の星を眺めながら、「この仲間とならどこまでも行ける」と心から思えた。
幹部旅行ではフェリーで島に渡ったものの、台風で本島に戻れなくなり、全員が畳の広間で雑魚寝。カップラーメンを分け合いながら「これもいい思い出になるな」と笑った。
全国展開への助走
沖縄での経験を武器に、私たちは全国展開を決意。福岡、鹿児島、大阪へと出店準備を進め、最盛期には23店舗にまで拡大した。沖縄で育った若き店長たちが、それぞれの地で挑戦を始める。
まとめ
沖縄17店舗時代は、まさに青春そのものだった。
昼も夜もなく、仲間と走り続け、泣き笑いしながら積み重ねた日々。あのときの熱狂と絆があったからこそ、全国展開という大きな挑戦に踏み出せたのだ。