工業高校への進学と機械への情熱
中学を卒業した私は、迷わず工業高校への進学を選びました。
小学生の頃から自転車をパーツから組み立てたり、中学ではスピーカーを自作したりと、ものづくりへの関心が人一倍強かったからです。
工業高校の教室に並ぶ機械や工具を見たときの興奮は、今でも鮮明に覚えています。旋盤やフライス盤の音、油と鉄の匂い、先輩たちが溶接で火花を散らす姿。そこは、まさに「未来のエンジニアたちが育つ工房」でした。
私は授業中も放課後も、機械や電気に触れる時間を楽しみました。教科書に載っていない方法を試したり、部品を分解して仕組みを理解したり。まるで遊びの延長のように、学びを楽しんでいたのです。
アルバイトと念願のPC-6001
高校に入ると同時に始めたのが、アルバイトでした。目標はただ一つ。
当時、私の憧れの的だった「NEC PC-6001」を手に入れるためです。
部活が終わった後や休日に働き、ようやく手にしたPC-6001は、私にとって夢そのものでした。
電源を入れると緑色の画面が現れ、コマンドを打ち込むとすぐに応えてくれる。まるで機械と会話しているような感覚に、心が震えました。
私は夢中でプログラムを書きました。ゲームを模倣したり、自分なりのアルゴリズムを考えたり。
失敗を繰り返しながらも、完成したプログラムを走らせたときの達成感は、何ものにも代え難いものでした。
雑誌への投稿と挑戦心
その情熱は、やがて外の世界へと向かいました。
私は作ったプログラムを、当時のパソコン雑誌へ投稿するようになったのです。
「自分の作品が誰かに使われるかもしれない」
「同じようにパソコンを愛する人たちとつながれるかもしれない」
そんな期待を胸に送り続けました。
結果はすぐに出ませんでしたが、編集部からの短いコメントをもらうだけでも、胸が熱くなったのを覚えています。
ここで芽生えたのが、「人に喜んでもらうために自分の技術を役立てたい」という気持ちでした。
この想いは後に、営業活動や起業へとつながっていきます。
バイク通学の発覚と「職員室での1ヶ月」
高校生活の中で、少しやんちゃな出来事もありました。
私はこっそりバイク通学をしていたことが先生に見つかり、校則違反で停学処分を受けました。
その後、処罰として1ヶ月間は職員室で授業を受けることになります。
しかし、この「罰」が私にとっては新しいチャンスになりました。
授業中、先生が席を外すと私はこっそりPCを立ち上げ、ゲームのプログラムを作り始めたのです。
無免許運転と退学危機
やんちゃは続きました。
先輩の車を無免許で運転し、パトカーに捕まってしまったのです。
その結果、バイクの免許は取り消し、さらに学校にも発覚。
「退学処分」の話まで持ち上がりました。
本来であればここで私の高校生活は終わっていたかもしれません。
しかし、職員室で過ごした1ヶ月間、先生たちと打ち解け、信頼を得ていたことが幸いしました。
「反省していることは間違いない。もう一度チャンスを与えてはどうか」——そんな先生たちの言葉が校長先生の心を動かし、私は退学を免れることができたのです。
ゲーム作りと「人を喜ばせる喜び」
休み時間になると、私は完成したゲームを友人たちに披露しました。
単純な迷路ゲームやシューティングもどき。
それでも画面に映るキャラクターを見て、友人たちが夢中になって遊んでくれる姿を見るのが嬉しくてたまらなかった。
「自分が作ったもので人が楽しんでくれる」
この経験は、私の人生の大きな転機でした。
プログラムや機械は単なる道具ではなく、人を楽しませ、喜ばせ、時には助けることができるものだ。
そう気づいたとき、ものづくりへの情熱は単なる趣味から「使命感」へと変わっていったのです。
振り返って
工業高校で学んだ知識と技術、PC-6001との出会い、雑誌への挑戦、そして職員室での「ゲーム作りの日々」。
それらすべてが、後の私を形づくる大切な要素となりました。
「人を喜ばせたい」という気持ち。
これは、営業マンとしての成功や、起業家としての理念、そして今のネクストレボリューションに至るまで、ずっと変わらず私を突き動かしている原動力です。