第2章 スターウォーズとYMOに夢中だった中学時代

放課後の秘密基地と銀河の夢

中学時代の私は、毎日のように従兄弟たちと放課後を過ごしていました。
スターウォーズが世間を席巻していた時代。私たちもその熱に完全に取り憑かれていました。

学校が終わると、自然と誰かの家に集まりました。机の上にはプラモデルの箱が積まれ、カッターナイフや接着剤、色とりどりの塗料が並びます。Xウィングやミレニアム・ファルコンを組み立てるときは、映画のシーンを思い出しながら、「ルークはやっぱり最強だ」「いや、ダース・ベイダーの方が圧倒的だ」と真剣に議論。まるで銀河の運命を自分たちで決めているような気分でした。

庭では「秘密基地づくり」にも没頭しました。私は大きなゆうなの木を見つけ、近所の工事現場からこっそり材料を調達してツリーハウスを作り上げました。木の上に上がって中に入ると、まるで宇宙船のコックピットに座っているかのようで、心が高鳴りました。
一方で従兄弟のKCとターボーは、自宅のウッドデッキの下に秘密基地を掘り下げて作りました。薄暗い空間の中でろうそくを灯し、空き缶でご飯を炊いては「宇宙探検の食事だ」と大真面目に語っていました。

そんな私たちの遊び場は、ただの子供の秘密基地ではなく、未来の夢を描く研究所のような場所でした。


映画ごっことジオラマ作り

スターウォーズの影響は、私たちをさらに創造的な方向へと突き動かしました。
学校のビデオカメラを借りてきては、自作のジオラマを舞台に戦車や宇宙船の戦闘シーンを撮影しました。
火薬代わりに線香花火を使って爆発シーンを演出し、完成したフィルムをみんなで鑑賞すると、まるで自分たちが映画監督になったような気分になったのです。

「俺たちが本気を出せばハリウッドも超えられる」——
そんな子供じみた冗談を言いながら、心のどこかでは本気で信じていた。
そのくらい、私たちの創作意欲は燃えていました。


音楽の衝撃、YMOとの出会い

同じ頃、私の心を深く震わせたのがYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)でした。
シンセサイザーが奏でる電子音は、それまで聞いたどんな音楽とも違い、
まるで未来から届いた音のように感じられました。

夢中になった私は、どうしても同じような音を出してみたくなりました。
お年玉を貯め、アルバイトで少しずつお金を稼ぎ、オーディオ機器を揃えました。
やがて自作スピーカーまで手掛けるようになり、夜な夜な電気回路や木材を相手に格闘しました。
完成したスピーカーから音が鳴った瞬間の喜びは、言葉では言い表せないほど大きかった。


シンセサイザーとPC-6001での挑戦

さらに一歩踏み込み、私はシンセサイザーや当時最新だったPC-6001を使い、音楽制作にも挑戦しました。
プログラムで音を鳴らし、メロディを組み立て、曲らしきものを作ろうと努力しました。

しかし、結果は散々でした。
自分が頭の中で思い描く曲と、実際に機械から出てくる音がどうしても一致しない。
次第に「自分には音楽の才能がない」と痛感し、音楽の道をあきらめざるを得ませんでした。

それでも、この時の経験が教えてくれたのは「好きなことに全力で挑む価値」でした。
たとえ結果が挫折であっても、夢中で打ち込む時間は決して無駄ではない。
後の人生で、私は数え切れないほど挑戦と失敗を繰り返すことになりますが、そのたびに「全力でやったからこそ得られるものがある」と信じられたのは、この中学時代の体験があったからです。


子供の夢が未来をつくる

スターウォーズに憧れて秘密基地を作り、ジオラマで映画を撮り、YMOに刺激を受けて音楽に挑戦した中学時代。
それは決して成功物語ではなく、むしろ失敗や未完成の連続でした。
しかし、そこで得た**「想像し、挑戦し、工夫する楽しさ」**こそが、私の人生を支える力になりました。

振り返ってみると、この頃の私たちは遊んでいたのではなく、未来をつくる練習をしていたのだと思います。
そしてこの「遊び心と挑戦心」は、今もネクストレボリューションの根底に流れ続けています。

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