序:東京へ渡る理由
沖縄での店舗展開を17まで広げ、スタッフと泣き笑いを共にした頃、私は一つの思いを抱いていました。
「沖縄という小さな島での成功だけでは、まだ足りない。全国に挑むためには、日本の中心を見ておくべきだ」
東京に出店する予定はその時点ではありませんでした。それでも、全国展開の“次のステージ”を描くためには、どうしても東京という街を体感する必要がある。そこにいる人、そこで生きるビジネスの速度、価値観のスケール感。それらを知ることが、これからの勝負で欠かせないと思ったのです。
「東京を知らずして、日本の市場は語れない」
そう自分に言い聞かせ、私はチケットを手に取りました。
渋谷の夜 ― ホームパーティでの衝撃
東京滞在初日の夜、渋谷の一軒家で開かれたホームパーティに招かれました。集まっていたのは約30名。上場企業の若手社長、テレビ番組「マネーの虎」で名を馳せた投資家たち(令和の虎に登場している細井氏もその場にいた)、プロ野球選手、そして有名YouTuberのマックスむらい。まさに“異次元の顔ぶれ”でした。
沖縄から来た私にとって、その場は圧倒的でした。会場の空気は熱く、ワイン片手に飛び交う会話は、数字とビジョンに満ちています。
「スマホ修理ビジネスをやっているんです」
私がそう切り出すと、すぐに反応が返ってきました。
「今は市場が成長してる。これ、上場を目指すべきだ」
「人も資金も集められるよ。出資者を揃える手筈を整えてやる」
その言葉に、私は思わず心が震えました。沖縄でスタッフと必死に汗を流し、海辺でBBQをしながら未来を語り合っていた日々。その延長線上に“上場”という言葉が、まるで手の届く場所に置かれたように思えたのです。
「俺はここから、全国、いや世界へ挑めるかもしれない」
パーティの場で交わした会話の数々は、ただの社交辞令ではありませんでした。人の眼差しが真剣だった。私は確かに感じました。ここは夢を語るだけでなく、それを形にできる人間が集う場所なのだと。
東京の洗礼 ― 会員制バーで学んだこと
翌日、前夜のパーティで知り合った所さんに誘われ、会員制バーへ行くことになりました。ところが入り口で思わぬ一言を浴びました。
「ジーンズはご遠慮いただいております」
沖縄の自由な空気に慣れていた私は、正直驚きました。急遽、所さんに借りたジャケットとチノパンに着替え、ようやく入店を許されました。
中に入ると、照明を落とした店内にグラスの音が静かに響き、大人の世界が広がっていました。私は思いました。
「服装ひとつで、世界はこんなにも変わるのか」
その夜、所さんはこう言いました。
「沖縄の自由さは素晴らしい。でも東京では“格式”という言語を学ばなきゃいけない。両方を知ってこそ、本当に通用するんだよ」
私はグラスを握りながら、その言葉を胸に刻みました。
タワーマンションの地下駐車場で
さらにその夜、所さんの住むタワーマンションを訪れました。
地下駐車場に降りると、そこには驚くべき光景が広がっていました。
ロールスロイス、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ……。並ぶのは超高級車ばかり。国産車は一台も見当たりません。
「ここが、東京の一角。成功者が集まる世界なんだ」
私はただ立ち尽くすしかありませんでした。頭の中で、沖縄の宜野湾本社の光景がよぎります。スタッフと一緒にBBQをしていたあの風景と、今目の前に広がる異次元の現実。
「この舞台で堂々と戦える存在になろう」
心の奥底で、固い決意が芽生えた瞬間でした。
沖縄へ戻り、仲間に語る
数日後、沖縄へ戻った私はスタッフたちを集め、東京での体験を語りました。
「東京では、スマホ修理ビジネスを上場させろ、と言われた」
「投資家も出資者も、本気で集めてくれると言っていた」
スタッフたちの目は輝きました。
「え?上場?すごいじゃないですか!」
「全国展開、マジで現実になるんですね!」
私は笑いながらも真剣に答えました。
「まだ夢物語じゃない。だけど、設計すれば絶対に行ける」
沖縄で汗まみれになりながら修理を覚えた仲間たち。その顔を見ながら、私は思いました。
「この仲間となら、必ず夢を現実にできる」
終:東京で掴んだもの
東京で見たものは、ただの刺激ではありませんでした。
・夢を夢で終わらせない人々の熱
・世界を広げるための“格式”という新しいルール
・そして「上場」という現実的なゴールの輪郭
沖縄で積み上げてきた情熱に、東京で得た理性と仕組みを融合させれば、全国展開も不可能ではない。そう確信できたのです。
「沖縄の魂を、東京の言語で伝える」
このとき私は、次の戦いへの序章に立っていました。