息子のiPhoneから始まった小さな奇跡
事の始まりは、実に些細な出来事でした。
ある日、息子レオが大切にしていたiPhoneを壊してしまったのです。画面は割れ、操作もままならない。その姿を見た瞬間、私は幼い頃から心に宿してきた「機械いじりの血」が騒ぎました。
工業高校時代に旋盤やフライス盤を回し、PC-6001でプログラムを書き、夜中まで機械を分解しては組み直していたあの感覚が蘇ったのです。「もしかしたら、自分で直せるかもしれない」。そう思った私は工具を取り出し、手探りで修理を始めました。
結果は――見事、復活。
ピカピカに輝くiPhoneを見つめながらレオが喜ぶ顔を見た瞬間、胸に熱いものが込み上げました。その表情は、私がプログラムを書いて友人たちを笑顔にした高校時代の記憶と重なりました。
山奥の自宅が修理工房に
この体験を私はブログに「日記」として書き残しました。ところが、それをきっかけに思わぬ反響が広がったのです。
「私のiPhoneも直してもらえませんか?」
「水没したスマホは直せますか?」
気づけば、中城の山奥にある自宅が“スマホ修理工房”に変貌していました。
夜中の3時、那覇から水没したiPhoneを抱えてやってくる若者。遠く本部町から山道を越えて訪れる家族。玄関先には修理を待つ人々の車が並び、我が家はまるで救急病院のような雰囲気でした。
もちろん、最初から順風満帆だったわけではありません。修理に失敗することもあれば、部品の調達に四苦八苦することもありました。しかし、ひとつのスマホが直り、お客さんが「ありがとう!」と笑顔で帰っていく。その瞬間の喜びは、疲れをすべて吹き飛ばしてくれました。
イオンからのオファー
そんな日々が続く中、ある日、信じられないような電話がかかってきました。
「イオンタウン泡瀬に出店しませんか?」
最初は冗談かと思いました。山奥の一軒家でコツコツ修理しているだけの自分が、大型ショッピングモールに出店する――そんな話が舞い込むなんて想像もしていなかったからです。
しかし、話を聞くうちに現実味を帯びてきました。口コミで広がった評判が、イオンの担当者の耳にも届いていたのです。私はすぐに決断しました。「挑戦するしかない」。
こうして、イオン泡瀬にスマホ修理の店舗を構えることが決まりました。
店舗経営の壁と学び
出店当初は、右も左もわからない状態でした。
店舗のレイアウト、スタッフの採用、仕入れルートの確保。どれも新しい挑戦でした。しかも、修理依頼は後を絶たず、毎日が戦場のような忙しさ。
ある日、1日に20件以上の修理を抱え、夜中まで対応したこともありました。手は工具で荒れ、目はショーケースのライトで充血していました。それでも、お客様が「ここに来てよかった」と笑って帰っていくたびに、「やってよかった」と心の底から思えたのです。
さらに、修理を通じて学んだのは「信頼の大切さ」でした。
スマホは現代人にとって命の次に大切と言ってもいい道具。その修理を任せてもらうことは、単に壊れた機械を直す以上の責任を意味していました。「安心できる店」「信頼できる人」にならなければ、このビジネスは続かない。そう悟った私は、品質へのこだわりと誠実な対応を徹底しました。
「富村さんだからお願いしたい」と言われる喜び
次第に、お客様からこんな言葉をかけられるようになりました。
「富村さんだからお願いしたい」
「他より安いとか高いとかじゃない。あなたに任せたい」
この言葉を聞くたびに、羽毛布団の飛び込み営業時代を思い出しました。
商品ではなく、自分を買ってもらう――。その哲学が、スマホ修理でも生きていたのです。
お客様の中には、修理後にわざわざお礼の手紙を書いてくれる方もいました。ある高校生は「これで受験勉強に集中できます!」と目を輝かせて帰っていきました。その姿を見て、「自分はまた人を助ける仕事をしている」と実感しました。
ビジネスから「会社」へ
イオン泡瀬での成功は、私の中に新しい展望を芽生えさせました。
「個人の修理屋」から「会社」へ。
ここから組織をつくり、人を育て、より大きな舞台で挑戦していく未来が見えてきたのです。
その先に生まれるのが「ネクストレボリューション」。
でも、この時点ではまだ、その名前は存在していません。
すべては、息子のiPhoneを直したあの日から始まった――そう振り返ると、人生とは本当に不思議なものです。
まとめ
第11章は、スマホ修理の偶然の成功が、イオン泡瀬出店につながり、その後のネクストレボリューション誕生の土台を築いた物語 です。
人との縁、信頼の積み重ね、そして「人を喜ばせたい」という想いが、再び大きな革命の幕を開ける準備をしていたのです。