ヤフオク時代の熱狂と初めての成功体験
1990年代後半から2000年代初頭、私はまだ「ネット販売」という言葉すら一般的ではなかった時代に、沖縄という独自の土地柄を最大限に活かして、新しい挑戦を始めました。
きっかけは単純でした。米軍基地から払い下げられる中古の軍用品――無線機、迷彩服、パイロット装備、さらには軍用ベッドやランタンまで、沖縄では“当たり前”のように存在していたものが、本土では珍しく、マニアの間で高値で取引されていることに気づいたのです。
私はそれらをヤフオクに出品し、毎晩のように深夜までパソコンに向かいました。落札が決まると梱包し、郵便局や宅配業者に持ち込み発送する。気がつけば、昼夜逆転の生活。寝不足でフラフラになりながらも、注文が入るたびに胸が躍りました。
「沖縄にしかないものが、全国の誰かに喜ばれている」
この感覚は私にとって衝撃でした。学生時代から“人を喜ばせること”を大切にしてきた私にとって、それが仕事になり、収入に変わっていく。これこそが、後に私の人生を方向づける原体験となったのです。
独自ECサイトの立ち上げと先見性
ヤフオクである程度の成果を出した私は、「プラットフォームに依存しているだけではダメだ」と考えるようになりました。
当時、楽天市場がようやく立ち上がり始めた時期で、まだ「ネットでTシャツや雑貨なんて売れるわけがない」と言われていた時代です。
私は本を読み漁り、独学でHTMLを学び、自分の手でホームページを立ち上げました。これが、いまで言うECサイトの原型でした。
サイトには、米軍基地でしか手に入らない珍しい品を並べました。無線機、フライトジャケット、パイロット用ヘルメット、軍仕様のバッグや時計……。沖縄ならではの強みを全面に押し出したラインナップでした。
当初はアクセスも少なく、「やはり無理なのか」と思ったこともありました。ですが、やがて検索や口コミを通じて全国のマニアが訪れるようになり、少しずつ売上が伸びていきました。
海外への挑戦と異文化交流
やがて、私のショップには海外からも問い合わせが届くようになりました。
「この無線機をアメリカに送ってほしい」
「パイロット装備を映画の撮影で使いたい」
外人住宅街で育った私は、なんとなく英語を聞き取ることはできましたが、
文法やライティングには自信がありませんでした。
「もっと学生の頃に英語を真剣に勉強しておけばよかった」と改めて後悔する瞬間でした。
それでも翻訳機を片手に必死にメールを書き、時には笑えるような“和製英語”でやり取りをしながらも、
少しずつ海外への販売ルートを広げていきました。
この国際的な交流は、単なる売買以上の学びを私に与えてくれました。
「世界には、こんなにも自分の商品を必要としている人がいる」
そう知ったとき、私の視野は一気に広がったのです。
ミリタリーネットショップの成功が広げた扉
ネットショップの運営に没頭する中で、思いもよらない依頼が舞い込みました。
「映画の撮影で使いたいのですが、レンタルできますか?」
売ることしか考えていなかった私にとって、“貸す”という発想は新鮮でした。
しかし、確かに映画やドラマの小道具としてなら、本物そっくりであることが重要で、
必ずしも新品である必要はない。
そこで私は「もちろん可能です」と返答しました。
それが、映画小道具レンタル事業の始まりでした。
映画小道具レンタルの拡大と誇り
最初の依頼は小さなドラマ制作会社からでしたが、それをきっかけに口コミが広がり、やがて映画や舞台、さらにはプロモーションビデオにも展開していきました。
自分が扱った無線機や装備がスクリーンに映し出される――その瞬間の誇りは、何ものにも代え難いものでした。
「沖縄から全国へ、そして世界へ」
ミリタリーネットショップは、単なる商売を超えて、文化を支える一部となっていったのです。
レンタルサーバー事業への布石
同じ頃、私はもう一つの事業に挑戦していました。
それが レンタルサーバー事業 です。
工業高校時代からの機械好きが高じて、自宅に複数のPCを並べ、サーバーを立ち上げることが趣味でした。
ECサイトを自作した経験から「サーバーを提供することで、同じようにネットショップを始めたい人を支援できるのではないか」と考えたのです。
当時はまだ個人でサーバーを貸し出すことは珍しく、需要は未知数でした。
しかし、私はあえてそこに挑戦しました。
「仕入れから商品販売、さらにネットショップ開業用のサーバー提供まで」
これをワンストップで提案したのです。
結果、開業を考えていた人々から大きな支持を得ることになり、レンタルサーバー事業はショップと並ぶ柱となっていきました。
大量仕入れと業界での存在感
さらに、沖縄の米軍払い下げショップが次々と閉店していく時期が訪れました。
後継者不足や高齢化が背景にありましたが、これは私にとって大きなチャンスでした。
「もう店を閉じるから、在庫を全部引き取ってほしい」
そう言われて倉庫ごと譲り受けたこともありました。
全国に知られる老舗の店が閉店する際には、倉庫一杯の在庫が私の手に渡り、その瞬間から私は“業界の大きな仕入れルート”を独占する立場になったのです。
まとめ ― ネットショップが作った未来の基盤
こうして振り返ると、映画小道具レンタルやレンタルサーバー事業といった多角化の基盤は、すべて ミリタリーネットショップの成功体験 から始まっていました。
- 「沖縄にしかない強み」を見つけたこと
- 「インターネットの可能性」を信じて行動したこと
- 「人を喜ばせる」ことを常に優先したこと
その積み重ねが、次々と新しい事業を呼び込み、私を次のステージへと導いていったのです。
やがてこの経験は、さらに大きな挑戦――「ネクストレボリューション」の誕生へとつながっていきます。